
桜とは日本人の概念である
コロナ禍で3度目の桜が咲いた。
太古から桜は、美しさのあまり私たちの心を魅了するだけでなく狂わすとも言われてきた。
そして神が宿る神聖な樹木としても大切に扱われてきた。
生と死、性と精、儚さ、狂気、幻影、陶酔、転生...
桜が私たちに連想させることは様々だ。
「たおやぎ」を運営するNaokoとHirokoで、桜が登場する短編小説3作品について語り合った。
H:Hiroko / N:Naoko


赤江瀑の小説は、一瞬の夢のよう
『平家の桜』赤江瀑
(あらすじ)
3浪して医学部に合格した主人公は束の間の春休みに田舎へ一人旅に出かけ、山奥に迷い込んだハイカーの青年と出会う。
その青年は満開の桜の谷を通って主人公が宿泊している宿まで来たというが、宿のおばあさんが云うにはとうのむかしに桜はすべて焼かれたという噂で、この谷には一本もないと青ざめる。
そこで主人公は、幻の桜を見るまでこの地に留まることを決め父に別れの手紙を書く。
H 『平家の桜』は、この感じで終わっちゃうの?っていう終わり方なんだけど、これがまた赤江瀑らしいんですよね。
自分の死に場所を探していたような。
N 積極的に死にたいわけではないけど、漠然と死にたいってことはきっとあるよね。
『平家の桜』は3年目の浪人でやっと志望してた大学の医学部に合格した若者が主人公だけど、結局家には戻らず幻想の桜の谷を求めて田舎の村に一生居着くことを決める。
父への手紙に、医学部に合格したことだけで我慢してくれって書いてるから、この生き方は自分の望んだ生き方ではないって思ったのだろうね。
H 自分の行くべき道へ向かうというよりは、今まで自分に嘘をついて誤魔化してきたけど、もう限界!ってなった感じがしますよね。
主人公は、平家谷の桜は一度もみてないんですよね。偶然出会ったハイカーの大学生が谷から折ってきたという桜の枝1本だけ。なのに一生残ろうとする。
よっぽど息苦しかったんだろうな。
N 自分らしく生きられないのは辛いよね。
『平家の桜』からは”死”の印象が強く感じられるけど、自殺願望ではないんですよね。
死にたいけど痛かたっり苦しいのはイヤだなっていう。
H ああ、なんかわかる気がします。あすの朝目覚めなければいいのに、っていう種類の死への願望。
N 桜って、希死念慮的な花だよね。ふわりと彼方の世界にいく感じ。
H 桜を観たから死にたくなるってことはあるのかな?
N それはあるかも。死にたくなったり、悲しくなったり。
坂口安吾の『桜の森の満開の下』もまさにそのテーマじゃないかな。
このまま世界が止まればいいのになって思う感じ。
H 本来の自分とは違う方向にいこうとしてるのを阻止したり、導き手のシンボルとして桜が出てくることが多い。
嘘をつけなくなっちゃうくらい、満開の桜ってキレイですよね。
呪縛をも解き明かす、桜の化身
『さくら桜』加門七海
(あらすじ)
加門七海の連作集『常世桜』に収録されている一作で、盲人の僧侶と狛犬、転生した魂が桜の木の元で再会をする。盲僧の美しい心と言葉に癒される作品。江戸〜東京と時が流れ、悲しき時も祝福する時も、変わらずにその地に咲き続けた桜の物語。
N 『さくら桜』に出てくる桜には、普遍性を感じるよね。
花が散って葉桜になって1年間の木の変化はあるけど、何十年も前から変わらず桜の木だけはそこにいる。
そして魂たちが転生しながら桜の木の周りに集まっていて、時を超えても変わらない思いがある。みんな忘れていたけど桜が思い出させてくれた。
H 盲の清玄の言葉に名言が多くて、読んでるうちに付箋だらけになっちゃったんですよね。
特にここが気にいったんですが、この地から去ろうとする清玄に向かって狛犬が必死に止めようとするシーンで、
「永遠に、共に入るという約束の叶わないのが、浮世でしょうに」*1
と、狛犬の頭を撫でて諭すところ。
N 清玄って、神の化身だよね。
H ですね!
人間は神仏の声が聞き取れないから、今世では鳥に転生したカラスが、
清玄と話しているうちに素直になっていくんですよね。
憎まれ口はお前をいじめたかっただけなんだって。
「今度は人に生まれるよ。そのとき、また、この土地を選んで生まれたら...今度こそ、声を掛けてくれ」*2
のちの世に掛けての約束は儚いけど綺麗ですね。
こういうのは、やっぱり桜の木じゃなくちゃ!
N 自分が全体の一つになっていく感じだよね。
魂が宇宙にかえるっていうとすごくスピリチュアル的に聞こえるけど、”桜”というひとつの概念に統合されるよね。
本当の自分って(私の魂って)こういう所にいたよね、というのを思い出すって言うのかな。
それに、 再生のシンボルともとれそうですね。
H 再生ともとれるし、一瞬で散る儚さも。
「だけど、今年の桜は今日限り。来年の桜は来年限り。今はのちを思わずに、一心に花を愛でましょう。」*3
桜って、眼ではなく心でみるモノなのかな。

妖との交わいは、桜の蜜の味
『花の下・花の部屋』倉橋由美子
(あらすじ)
作者・倉橋由美子の分身たる”桂子さん”が主人公。夫や子どもが寝静まった頃に、化粧を直して、故人や物語の登場人物たちと夜遊びを楽しむ。『花の下・花の部屋』は桂子さんが主人公シリーズ『夢の通い路』に収録されている。
N 桂子さんって何者なんだろうね!笑
H そう、それ!桂子さんになりたい!私は桂子さんが羨ましくてしょうがないですよ。
今世でどういう徳を積んだら、妖たちと夜遊びができるなんてご褒美をもらえるんだろう。
N 羨ましいって言うのが、Hirokoさんらしいね。笑
桂子さんは妖しさを楽しんでいるよね。妖たちに手懐けられている状況に酔っている感じ。
H 『花の下』『花の部屋』って合わせて14ページしかないんですよね。この短さに軽やかな官能が凝縮されている。こんな話なのに読後感の爽やかさといったら。
N 『花の下』では、歌人の西行法師。『花の部屋』では、とはずがたりの二条さんとかなりの豪華メンバーが出てくるよね。この2人だったら、陶酔しちゃうかもしれないね。
H 桂子さんって、魔性性や官能的な印象は全然感じないんですよね。
N すごく素直な女性なのかもね。
H 『花の部屋』の最後がすごく好きです。
「そういえば、とはずがたりの二条は三十歳を過ぎて出家し、東は鎌倉から西は足摺まで、あの時代の女性としては考えられない旅をする。」*4
とありますが、現実に戻った桂子さんがヨーロッパ旅行のため搭乗した飛行機の中で二条さんとばったり会うというシチュエーション。
N この時代は、アクティブな女性はかなり変わり者と思われていたんだろうね。
そういえば、桜でお花見をする文化って日本独特のものなんだって。
中国では梅を鑑賞する文化があるけど桜ではない。欧米ではローズガーデンのような場所はあっても、お花見というカルチャーではない。
H 桜を見て”死”や”さみしさ”を連想するのも、日本人独特の感性と聞いたことがあります。
N 心を狂わすほど美しく咲いて、一瞬で散ってしまう。
その姿を、人間の一生や魂の転生と重ね合わせて来たんじゃないかな。
桜って、日本の概念だね。
筑摩文庫『文豪怪談ライバルズ!桜』東雅夫・編 より
引用元:
*1*2*3 『さくら桜』加門七海
*4 『花の下・花の部屋』倉橋由美子