中年男性の堕ちゆく人生
- Hiroko
- 2022年10月20日
- 読了時間: 4分
執筆者:Hiroko
「52歳という歳、まして妻と別れた男にしては、セックスの面はかなり上手く処理してきたつもりだ。」*1
イギリスでその年に出版されたもっとも優れた長編小説に与えられる世界的に権威のある文学賞である”ブッカー賞”を1999年に受賞したJ・Mクッツェーの『恥辱』は、このような書き出しで始まる。
52歳のケープタウン大学の教授のデヴィット・ラウリーは2度目の離婚をし、お気に入りの娼婦がいたが、偶然プライベートで鉢合わせして以来すっかり冷たくなってしまった。彼女に探偵をつけ住所や電話番号を調べあげ自宅に電話をかける。
デヴィットは拒絶され娼婦とは疎遠になる。その後、教え子に手を出し告発され大学を追い出されることになる。
若い頃はかなりのプレイボーイだった。老いていく自分を受け入れられず、仕事も友人も失ったが反省する様子は微塵もなく、時には開き直り完全にイタイ中年となっていた。
行き場を無くしたデヴィットは、南アフリカの片田舎で暮らす娘のルーシーがきりもりする農場へ転がり込む。
ようやく平穏な日々に取り戻したかと思えば、デヴィットと娘に大事件が起こり...
転落した中年男性が自分の人生を見つめ直す審判の日々が描かれている問題作。

ポスコロ・ブームとセクシャルハラスメント
『恥辱』が出版された1999年頃は、社会的にある2つのことが盛んに議論されていた。
ポストコロニアル理論とセクシャルハラスメントだ。
ポストコロニアル理論(通称:ポスコロ)は、植民地や帝国主義を幅広く議論していく文化研究で(あくまで問題意識であって運動ではない)、旧植民地の国の文学では旧宗主国がどう描かれているのか、植民地となった国の文化風習がどう抑圧されてきたのかを研究するものだ。
『恥辱』の舞台の南アフリカは、17世紀半ばからオランダ、19世紀前半からはイギリスの植民地とされてきた。アパルトヘイトなど人種差別問題に長年苦しんできた国だ。
セクシャルハラスメントが社会的に強く問題視され始めたのが1990年前後で、日本でも1989年に”セクシャルハラスメント”が新語・流行語大賞を受賞している。
ポスコロ・ブームとセクシャルハラスメントの広がりが作品のテーマと重なり『恥辱』は世界的ヒットとなり、J・Mクッツェーは90年代に最も議論される現代小説家の1人となった。
3つのメタファー
この小説には3つのメタファーがあると感じている。
1、黒人と白人
南アフリカはアパルトヘイトの歴史を背負った国だ。この小説の中では人種差別問題を直接的には描いていないが、白人と黒人の見えない壁が存在している描写が幾度も出てくる。
娘がきりもりする農村は治安が悪く、危険に囲まれた場所だ。
ある日強盗に家を襲われ、娘のルーシーはレイプされデヴィットも怪我を負う。しかも娘は妊娠してしまう。
子どもを産むという娘と対立する父。
2、父(旧時代)と娘(新時代)
デヴィットはどうにかルーシーを農園から外国へ避難させようとするが、ルーシーは全く聞き入れない。何が起こっても受け入れ、南アフリカの地に根づく覚悟でいる。
父と娘は終始すれ違っている。このすれ違いは時代の移り変わりを表しているようだ。
強盗の子どもを産もうとする娘に、「私たち(=白人)のやり方ではない」と苛立つ父親。
セクハラで大学を追われても『イタリアのバイロン』というタイトルのオペラの執筆を続けるデヴィットは、白人中心主義を引きずっているようにも見える。
ルーシーもかなり極端な選択をするため、すれ違う2人のどちらにも感情移入できず読者は俯瞰的な立場のまま読み終えてしまうのだが、この2人を見下ろす視点に読者をおく距離感こそクッツェーの持ち味と言っていいだろう。
3、人間と犬
デヴィットは診療所で増えすぎた犬たちを安楽死させる仕事を手伝っている。
人間と犬の関係は、人種差別のメッセージのようにも見える。この犬を通して、デヴィットが人間の暖かな心を取り戻したかのように見えるシーンもあるのだが...ハッピーエンドは期待せずに読んでいただきたい。
文学作品は感情移入できる登場人物を見つけ、その人物の苦悩や高揚を自分ごとに落とし込むことが醍醐味だ。
だが、この作品には共感できる人物は1人も出てこない。
もちろん部分的に共感できることはあるのだが、その人物の本質はどう見ても自分と重ね合わせたくない、という人ばかり。なのにページをめくる手が止まらない。
後にノーベル文学賞も受賞するJ・Mクッツェーの、含みのある対話を読んでみてほしい。
引用元:
*1 早川書房『恥辱』J・Mクッツェー
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