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涙は人生を洗う

  • 執筆者の写真: Hiroko
    Hiroko
  • 2022年11月24日
  • 読了時間: 3分

執筆者:Hiroko


「私は宿命的に放浪者である。私は古里を持たない。(中略)

したがって旅が古里であった」*1


これは『放浪記』の冒頭の一節だ。

第一次世界大戦後の暗い東京を様々な職を転々としながらたくましく生きる女性の自伝的小説で、浮雲に並ぶ林芙美子の代表作だ。

昭和3年から連載が開始され、たちまち大ヒットとなった。


『放浪記』は昭和5年に初版が発刊されてから、芙美子自身も何度も加筆修正をしているため多くの版本が存在する。

みすず書房から発刊された放浪記であと書きを書いた作家の森まゆみは、以下のように語っている。


「原『放浪記』が一生に一度しか書けない進行形の〈青春の書〉ならば、いま流布している『放浪記』は〈成功者の自伝〉である。」*2


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貧困と明るさ


戦争のない平和な時代に生まれた私にとって当時の貧困は、文学や映画から想像することしかできない。

主人公は職を転々として何人もの違う男と一緒になりながら詩や童話を書いているのだが、何度も満足にご飯を食べられずひもじい思いをする描写が登場する。

だが、最後はいつもどこか明るい。


「貧乏は恥じゃないと云ったものの、あと五ツの駄菓子は、しょせん私の胃袋をさいどしてはくれぬ。手を延ばして押入れをあけて見る。白菜の残りをつまみ、白い御飯の舌ざわりを空想するなり。

(中略・原稿料が書留で届く)

金二十三円也!童話の原稿料だった。当分ひもじいめをしないでもすむ。胸がはずむ。ああうれしい。神さま、あんまり幸福なせいか、かえって淋しくて仕様がない。」*3


「三十も過ぎているだろうこのガンジョウな男が、汗ばんだ二銭を私からもらうと、共同便所の方へ行ってしまった。

あの人に二銭あげてあの人はあんなに喜んで行ったんだから、私にもきっといい事があるに違いない。」*4


この時代を生き抜くには、きっと明るさが何よりも必要だったに違いない。



彼女の作品ではなく「林芙美子」が求められていた


放浪記は森光子が主演で舞台化されており、生涯かけて磨き上げたことがあまりに有名だ。

おそらく、放浪記=森光子、と連想する人が多いだろう。

しかし舞台だけでなく映画やテレビドラマで何度も映像化されており、昭和を代表する女優の夏川静江や高峰秀子らが林芙美子役を演じてきた。

彼女たちの俳優としての評価はここで語るまでもないほど高いが、映像化された放浪記はことごとく不評だった。


林芙美子は社会の底辺に生まれた。だが貧しさをユーモアに変えて、力強く生きた作家だ。

きっと当時の世の中は、女優が演じる完成された美しい林芙美子ではなく、貧困のなか必死で書き続けた林芙美子自身を求めていたのだろう。


人気作家となった林芙美子は、ファンにサインを求められると好んで書いた言葉がある。


”花の命は短くて、苦しきことのみ多かりき”





引用元:

*1*3*4 新潮社『放浪記』林芙美子

*2  みすず書房『放浪記』林芙美子 森まゆみ解説


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