#MeTooのゆくえ
- Naoko
- 2021年11月12日
- 読了時間: 7分
更新日:2021年11月18日
執筆者:Naoko
2017年に映画プロデューサーがその立場を利用し、映画出演の女優たちに対し、セクシャルハラスメントを行い、訴えられたことにより広まった#MeToo。
世界中でMeTooの声を上げる女性がいる中、心当たりのある男性は、さぞや肝が冷えたのではないだろうか?
または、俺は無関係と自身とは異なる次元の話、と捉えているいるだろうか?
セクシャルハラスメントの加害者は、無自覚なことが多いとも聞く。

日本においても、今年の8月6日に発生した小田急線・祖師ヶ谷大蔵駅付近の電車内での切りつけ騒ぎで、幸せそうに見える未来ある若い女性をはじめ多くの人が傷つけられた。犯人である男性が女性に対するの恨みを蓄積させ、このような凶行に及んだと述べたため、ミソジニー(女性嫌悪)という言葉でニュースやワイドショーでさんざん取り上げられたが、あれからもう3か月以上が経過した。
その後、模倣犯とも言うべき、京王線での刺傷・車内放火事件、東西線での刃物所持事件、九州新幹線の車内放火事件が続き、電車という密室が社会的に追い詰められた人々のネガティブな自己効力感を満たす場になってしまっている。
不謹慎な表現で申し訳ないが、『鬼滅の刃』の無限列車どころの騒ぎではない。
話を小田急線切りつけ事件に戻したい。
事件後、祖師ヶ谷大蔵駅には「フェミサイドを許さない!」といった旨のポストイットが貼られ、一時期かなりの数のポストイットが貼られていたようだ。
私はこの路線を普段使うことがないから、メッセージ性の高いポストイットの実物を見たことがなかったが、SNSで写真がシェアされていたり、賛同する方のコメントや、この公共の場所にペタペタとポストイットを貼る行為やフェミニストに対するアンチも多く見かけた。
今現在では世の中の人の関心事は、コロナが収束しはじめ人々が街に戻り始めている中、今後これらの模倣犯が次から次へと出現するのではないか?というフェミサイド、ミソジニーからは少し離れたフェーズになってきているが、改めてこの問題についてスティーグ・ラーソンの『ミレニアム1 ドラゴン・タトゥーの女』上・下巻を取り上げたいと思う。
先に断っておきたいが、私はフェミニストではなく、一女性として発信したいと思う。
女を憎む男達
セクシャルハラスメントもフェミサイドも、ミソジニー、すなわち女性蔑視、または女性軽視によるものが根底にあると一般的には言われている。
ミソジニストもまた女から産まれ出でているわけだが、何故女を憎み、恨み、蔑むようになるのか?
そこには、社会的な背景と成長の過程で過ごして積み上げられた経験が影響していそうだ。
社会的背景については、ある種先天的な背景とも言い換えられるだろう。
国ごとに状況は異なりそうであるが日本の場合、中世から続くの家父長制の時代が長く続いてきていた影響は色濃いと言える。
令和3年においては、男性だから、女性だからと性別によって選択肢が狭まるという時代ではなくなってきているように見えるものの、私達のDNAの中に澱のように溜まった家父長制は、家や、会社組織や、様々なコミュニティの中で沈殿していて、私たちに無意識のバイアスをかけている。
ジェンダーの問題が噴出した時、時折底に沈殿しているこの澱が搔き混ぜられ、白濁の中にこの問題が時折はっきりとした顔を見せる。
影響の2点目、成長の中で過ごしてきた経験についてであるが、1つ目で言及した家父長制的の強い家庭に生まれ育ち、その後、クラスメートの女の子や姉妹、母親などに尊厳を踏みじられる経験や、女性に対して失望した経験が積み重なり、「なぜ自分はこのような状況なのか」、「自分を虐げているのは女性である」というゆがんだ認知を積み重ねた結果、極端な例としてミソジニストになってしまうケースがある。
ミソジニストになってしまう男性1人に問題があるのではなく、彼らを取り巻く周囲の環境やゆがんだ認知を解除できなかったことは、むしろ彼らもまた被害者と言えるのではないだろうか?
ミソジニー被害者の救済の物語
『ミレニアム1 ドラゴン・タトゥーの女』は、上・下2巻からなっていて、この『ミレニアム』シリーズは、第6部まで続く長い物語であり、世界的ベストセラーとなっている。
スティーグ・ラーソンは、2005年の『ミレニアム1 ドラゴン・タトゥーの女』の刊行を待たずに、その前年に50歳という若さで亡くなった。パートナーの女性エヴァ・ガブリエルソンと共同執筆という形をとっている。
またタイトルは異なるが、何度も映画化されているため、『ドラゴン・タトゥーの女』といえば映像作品を思い浮かべる人も多いだろう。
ラーソンがこの作品を書くきっかけとなったのは、彼がティーンエイジャーだった頃に、女性への性的暴行を見て見ぬふりをし、翌日その女性に謝罪するも、許してもらえなかった経験から、ミソジニーに対するの怒りや贖罪によるものということだ。
この物語の主人公の1人、リズベット・サランデルは、パンクファッションに身を包んだやせっぽっちの24歳の女性。
学歴もなく素行も悪いが、恐ろしく頭脳明晰で感情を表に出さず、何を考えているかわからないし、女性的というよりも中性的なミステリアスな人物で、警備会社の調査員として働いている。
リズベット・サランデルは過去の父親からの性的虐待の経験から、ミソジニーに対する激しい憎悪を持っており、仕事とは直接的に関係ないことであっても調査対象の人物に、ミソジニー的な鱗片を見つけると徹底的に調べ上げ、懲らしめようとする。
そんなリズベットのモデルは、同じくスウェーデンの児童文学で有名な『長くつ下のピッピ』の主人公ピッピ。マナー知らずではあるものの、怪力で多才なところは現代版ピッピと言えるだろう。
ジャンルは推理小説であり、ミソジニストや悪を懲らしめるスカッとしたエンターテインメント性が光る物語であるのだが、それ以上に社会的なテーマを果敢に描いている作品であり、ミソジニーの被害を受けた女性のレジリエンス(弾性)を描いている作品だ。
「スウェーデンでは女性の四十六パーセントが男性に暴力を振るわれた経験を持つ。」*1
日本においてもコロナ禍において在宅率が高まり、家庭内での夫から暴力、父親からの暴力が増えたと聞く。世界の女性の約3分の1 (30%)が、身内か、身内でない者から何らかの暴力を受けているという統計もある。
激しい暴力の場合、それが原因で亡くなることもあるだろうが、生き延びた人々、すなわちサバイバーの女性も数多く多くいるだろう。
リズベットは、まさにそのモデルケースのように描かれ、暴力を受けたその後に立ち直り、女性を苦しめた者たちを、合法・非合法な手段を使っても懲罰を下す、まさに裁きの天使ウリエルのように描かれている。
余談であるが、リズベットの相棒役の雑誌「ミレニアム」経営者の男性は、ミカエルという。よくある名前だから関係ないかもしれないが。。。
リズベットは、中性的で無感情なキャラクターであるが、決して感情がないのではなく、感情に偏りがあると言った方が正確かもしれない。心に秘めた激情を表に出さないように精妙にコントロールしている。
一見弱々しいやせっぽっちの少女に見える彼女が、その危険なまでの切れ味の頭脳と実行力で男たちを追い詰めていく。
レジリエンスを描いていると前述したが、弾力性が過剰過ぎて半沢直樹の倍返しよりも激しいかもしれないが、フィクションなのである程度オーバーな表現はあるにせよ、このテーマを男性の作家が取り上げ、女性はかような暴力には屈服しないという姿勢をリズベットを通してメッセージとして伝えてくれることに、女性の読者としては、異性の「理解者の存在」というとてつもない安心感と、勇気をもらうことができる。
MeTooのゆくえ
MeTooで声を上げている女性は、過去の暴力、セクシャルハラスメントの被害を訴え、
MeTooを見た男性たちは、つるし上げられて、これも暴力だ、と感じてしまい過剰に反応してしまう。
この活動は、どうしても、女性 対 男性、フェミニスト 対 非フェミニストの戦いの場となり、溝を深めてしまうような気がしてならない。
※声を上げるなということでは、決してない。
今回レビューさせていただいた男性が描くミソジニーをテーマにした『ミレニアム1 ドラゴン・タトゥーの女』で女性である私は救われ、過去の傷が少しだけ癒されたし、勇気が湧いた。
今度は女性が描くミサンドリー(男性性への嫌悪)をテーマにした作品で、男性を救う番なのかもしれない。
引用元:*1 早川書房『ミレニアム1 ドラゴン・タトゥーの女』[上] スティーグ・ラーソン 翻訳 : ヘレンハルメ美穂、岩澤雅利
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