薔薇という記号
- Naoko
- 2021年11月25日
- 読了時間: 6分
執筆者:Naoko
今年も秋の薔薇の季節が終わってしまった。
生花店には年がら年中、薔薇は並んでいるけれど、やはりその花が最も美しいのは本来咲くべき季節だと感じる。
薔薇は、4万種以上の品種が存在している植物で、ひとえに薔薇が好きといっても、一人一人が思い浮かべている薔薇は同じものではない可能性が高い。

薔薇を小説の主題に持ってくる物語は、古今東西あまた在れど、日本文学の中で、この花を最も偏愛する作家といえば、中井英夫ではないだろうか?
中井英夫 ー 名前を聞いたことがなければ、どのような小説を書いている作家か皆目見当がつかない、そんな声も聞こえてきそうだ。
読書好きな方であれば、日本三大奇書の作者と聞けば、興味を持っていただけるに違いない。
そして日本三大奇書の一つ『虚無への供物』は、彼の幻想推理小説であり、日本において薔薇を主題とした最も長い物語である。
彼は、1922年(大正11年)9月17日 - 1993年(平成5年)12月10日)は、日本の小説家、詩人。
別名は、塔 晶夫(とう あきお)、黒鳥館主人、流薔園(るそうえん)園丁、月蝕領主、他にも色々ある。
だいぶ中二病っぽい別名を持つ中井英夫は、作品でも実生活でも薔薇を育て、大変愛でていた。父親は植物学者で国立科学博物館館長、ジャワ・ボゴール植物園園長、小石川植物園園長を務めた人物である。自身の薔薇園をもつようになったこの小説家は、父親の影響を受けているのは言うまでもない。
中井英夫は薔薇をテーマにした、小説、随筆、短歌など様々なジャンルの作品を残しているが、代表作『虚無への供物』については、また別の機会にお話しさせていただき、
本日は『中井英夫全集[3] とらんぷ譚』の中で薔薇にまつわる三本の短編小説『薔薇の夜を旅する時』、『薔人』、『薔薇の戒め』を中心にお話しを進めたいと思う。
薔薇の樹の下には何が埋まっているのか
中井英夫は、『中井英夫全集[11] 薔薇幻視』の中で、薔薇について次のように述べている。
「かつて満開の桜の樹の下に屍体が埋められていたように、透視の能力さえあれば薔薇の樹の下にもみごとな魑魅魍魎のうごめいていることが知られるだろう。それなればこそ薔薇はこれほど美しいのだから。」*1
薔薇という植物が持つ、特有の妖しさ、恐ろしさ、棘のついた蔦で絡めとられ、養分を吸われ、やがて取り込まれて植物の一部になってしまいそうな感覚。まるで贄を求めている人外(にんがい)のようだ。
中井はこのように薔薇をとらえているが、一般的には、ポジティブなシンボルとしても様々な意味を持っている。『シンボル・イメージ小辞典』には、以下のように記されていた。
「バラはヴィーナスの花であり、歓喜、勝利、完全を象徴する。ただ一輪のバラが、ちょうど曼荼羅のように神秘の核心を表わすのである。花言葉では、バラの花冠は美と報われた美徳を表わす。しおれたバラは美のうつろいやすさを意味し、大きくて鋭い棘のある野バラは快楽と苦痛を意味する。」*2
この花が持つイメージは、妖しくげに恐ろしいものから、誇り高く完全なものなど様々で、
前述した四万種という種類の多さもさることながら、薔薇という花が多面性を持ち、様々な解釈や感情を人々に抱かせるある種の記号といっても良いと思う。
記号とは何か
改めて、「記号」とは何か?
広辞苑で「記号」を調べたところ、以下の説明があった。
「①(sign; symbol)一定の事柄を指し示すために用いる知覚の対象物。言語・文字などがその代表的なもので、交通信号のようなものから高度の象徴まで含まれる。また、文字に対して特に符号類をいう。
②〔言〕(signe フランス)ソシュールによれば、音や図像などの知覚される表象と意味(概念)とが結合した対象。表象をシニフィアン(能記、記号表現)、意味をシニフィエ(所記、記号内容)と呼ぶ。言語も記号の一種。シーニュ。」*3
非常に平たく言うと、何かを表わすための印、を記号という。
例えば、郵便番号は、”〒”という記号であらわすことが出来、表わしたい物・事柄と意味はおおよそ1対1の関係性を持っている。
しかし、必ずしも物・事柄と意味の関係性は、1対1とは限らず、1対多の関係性にあるものもある。
話が発散して申し訳ないが、記号学と言えば、ウンベルト・エーコの『薔薇の名前』を思い出す人もいると思う。この小説については話すと長くなりそうなので、いったんここでは内容には触れないが、主人公の修道士アドソが愛した名もなき少女を意味するが、それ以外にも「薔薇」は非常に多義的なシンボルとして描かれている。
この物語の中で「薔薇」は、物・事柄と意味の関係で1対多の関係性を持つ特殊な”記号”と言えるだろう。
虐げるもの
多義的記号の薔薇であるが、果たして中井英夫にとってはどういう存在なのだろうか?
『中井英夫全集[3] とらんぷ譚』の三本の短編小説『薔薇の夜を旅する時』、『薔人』、『薔薇の戒め』は、すべて薔薇の妄想に取りつかれて、養分を吸われながらも、絶対的なj女王に仕える奴僕のような哀れな人々の物語である。
『薔薇の夜を旅する時』では、薔薇をきっかけに暴走する男女を、『薔人』では薔薇から産まれた美少年となった自身を妄想する可哀そうな老人、そして『薔薇の戒め』は『薔人』で登場した老人が、薔薇を育てたこと(あまり上手に育てられなかったこと)について罰せられる物語となっている。
『薔人』と『薔薇の戒め』のなんとも哀れな老人は、中井英夫自身を表現しており、育てた大切な薔薇によって、自身は蝕まれ、最後は死という戒めを与えられるという徹底した被虐の姿勢を貫いている。生殺与奪の権利は、すべて薔薇にゆだねられているのだ。
中井英夫にとっての「薔薇」という記号は、尽くすべきもの、絶対的支配をするもの、刈り取るもの、と解釈してもよさそうだ。
薔薇のためならば、命を懸けてもいいし、自分がボロボロになって、殺されたっていい。
自分自身の全てのエネルギーを、薔薇に全振りしている中井英夫は、まさに薔薇の囚人という呼称がふさわしい。
「薔薇」という記号は、あなたにとってどんな意味を持つだろうか?
圧倒的な美しさ、
1本でもすべてが整っている完全性
それとも・・・・。
虚と実の薔薇
彼の小説を読んでいると、よく「虚の薔薇」*4 というキーワードがあちこちに登場する。
リアルな薔薇、「実の薔薇」という言葉と対になっている言葉と想像され、「実の薔薇」は、自身が育てている実体のある薔薇達を指し、「虚の薔薇」は物語の中で登場する、人を狂わせ、生気を吸い取り、死に至らしめる「薔薇」という記号、概念を指すのだろう。
とはいえ、「実の薔薇」の方もなかなか人間に労苦を強いるものだと感じる。
薔薇の栽培は、園芸の中でも非常に難易度が高く、虫害、うどん粉病などの病気、季節に応じた剪定、水やりの加減を間違うと根腐れを起こし、花の1つもつけない観葉植物を枯らしてしまう私からすると、ここまで手を尽くさねばならない植物というのは、恐ろしく自身の体力、時間を奪う厄介な植物である。
私にとって、薔薇は虚でも実でも、恐ろしく手のかかる我儘な女王に思えてならない。
最後にもう一つ興味深い話をさせていただきたい。
シャンパーニュ地方では、ワイナリーの葡萄が病気にかかる前に、畑にところどころ植えた薔薇のコンディションで、葡萄の生育状況がわかるようにする風習があるらしい。
実際には、あまり科学的な根拠がないらしいが、ここでは薔薇は葡萄のための尊い犠牲という位置づけなのである。
もしこの状況を中井英夫が知ったら、昏倒するか、真の主は葡萄畑の薔薇だ!と主張するに違いない。
引用元:*1 創元ライブラリ『中井英夫全集[11] 薔薇幻視』中井英夫
*2 現代教養文庫『シンボル・イメージ小事典』ジェイナ・ガライ 翻訳:中村凪子
*3 『広辞苑』
*4 創元ライブラリ『中井英夫全集[3] とらんぷ譚』中井英夫
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