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赤線地帯のファム・ファタル

  • 執筆者の写真: Naoko
    Naoko
  • 2022年9月1日
  • 読了時間: 4分

執筆者:Naoko


酒や煙草、身体に毒と理解していてもやめられないものがある。

吉行淳之介の『不作法のすすめ』は精神的に毒と理解していても読むのを途中でやめることが出来ない一冊だ。


決して高尚な有用な随筆ではない。

どちらかというと、彼の下衆で低俗な日常"だけ"を切り取ったものなのである。



この『不作法のすすめ』の他、『浮気のすすめ』、『痴語のすすめ』、『面白半分のすすめ』、『軽薄のすすめ』、『悪友のすすめ』、『怪談のすすめ』と”すすめ”シリーズは多いが、今回取り上げる『不作法のすすめ』は、人権意識が低く、吉行淳之介の女性嫌悪感が最も現れている随筆と言えると思う。



愛から逃げる男


『不作法のすすめ』に収録されている『娼婦と私』は、彼が様々な小説のモデルとして描いてきた赤線地帯の女たちとの関わりについて触れたものである。


女である私が読むと、不愉快な気分になるかもしれない、そんな懼れもあって長年積読状態であった作品だ。

吉行は、フランス文学者でエッセイストの奥本大三郎によると「女性嫌悪思想」の傾向が強い作家と評価しており、それもこの本を手に取ることを躊躇わせた一因である。


ミソジニストで、娼婦を頻繁に買う男、吉行淳之介。

私の中で、最も厭うべき男の象徴のように感じて苦手であった。


吉行にとって、娼婦とは性欲を満たしてくれて、自身を認めてくれる存在でありながら、どこか小馬鹿にしているような、軽蔑し汚らわしい存在だとも思っているようである。


一人の女にあまり執着しない吉行であるが、これは彼が深入りしてしまう、誰かを愛してしまうということを避けていた、または恐れていたのではないだろうか?

それぐらい「愛」という表現やそれにつながる行動を徹底して避けている。


吉行は若い頃から、腸チフス、心臓脚気、気管支喘息、結核など様々な病に蝕まれており、死と近い場所にいたタイプの人間である。

彼にとって女とは、自身が生きている証であり、無くてはならないものだったのかもしれない。

それゆえに一人の人に愛を注ぐこと、それが壊れることは、彼にとっての死を意味し、たくさんの女たちに囲まれ、彼がまだ生きているという証人が欲かったのではないだろうか?



赤線地帯のファム・ファタル


たくさんの娼婦に囲まれた吉行であったが、その中でも『娼婦と私』の中で語られる、M子は彼にとって特別な女だった。


M子の出自は、「かなり富裕な家庭に育って、女学校を出た。親の反対を押し切って、日劇ダンシングチームに入った。それから、お定まりの戦争。身の上の急変。」*1 とある。

孤独な女が自立して逞しく生きていくしかない状況であり、赤線地帯にやむを得ずその身を落としながらも、どこか繊細な感性と恥じらいを持ち合わせて生きている女、M子。


吉行にとって、”恥じらい”は人間の品性そのものを図る物差しのようなもので、男性であっても女性であっても、彼の何らかの言動や行動に対して、相手がこの”恥じらい”を見せたかどうかで、彼の中で人間の良し悪しを決定しているかのようだった。


貧乏編集者時代の吉行は、このM子に対して、「惚れてはいなかった」*2 と何度も述べているが、少なくとも気に入っていた、もしくはどうしようもなく気になってしまう存在ではあったらしく、なけなしの金を握りしめて彼女の元へ足繫く通い詰めている。


M子には吉行以外にも馴染みの客やパトロンはおり、金がない吉行には、破格安さの玉代しか請求せず、時には彼に金を融通するようなこともあったようだ。心根の優しいM子であったが、何度かこの街から男と出るが、また舞い戻って、春を鬻ぐ商売から足を洗うことがなかなか出来ないでいた。

残酷な表現になるが、吉行は、売春窟から這い上がろうとしている、本来いるべき場所でない場所にいて藻掻く彼女を身近で見ることにより、彼の中の創造性に火がついたのではないだろうか?


彼女の元へ通う頻度も落ち着いた頃、M子はパトロンの1人と町を出ていってしまった。


彼女がいなくなったことをきっかけに、吉行も急に女遊びがつまらなくなりこの街を卒業をすることになる。

その後肺炎にかかり、療養を余儀なくされ、その間に執筆した芥川賞の受賞作でもある小説『驟雨』のモデルは、もちろんM子であった。


彼にとっての”ファム・ファタル(運命の女)”であったと言って間違いないだろう。





引用元: *1,2 中公文庫『不作法のすすめ』吉行 淳之介

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