搾取される者の抗いと傷
- Naoko
- 2021年12月9日
- 読了時間: 5分
更新日:2022年5月31日
執筆者:Naoko
伊坂幸太郎のデビュー作『オーデュボンの祈り』が2000年に登場し、こんなに人を夢中にさせ、興奮させ、そして最後はスカッとさせる面白い小説があっていいものだろうか?と衝撃を受けたのを今でも覚えている。
朝・夜の通勤電車の中で夢中になって読み耽り、乗り過ごしてしまったこともしばしば。
新刊が出る度にすぐに購入して読んでいたが、最近はしばらく伊坂幸太郎の物語から遠ざかってしまっていたが、『フーガはユーガ』が文庫化され、何気なく手に取った。

画廊と犬のぬいぐるみ
『フーガとユーガ』の物語に触れる前に、この写真の犬の古びたぬいぐるみはなんだ?と思われるかもしれない。小説に登場する”血塗られたぬいぐるみ”でないことは先にお話ししておきたい。
伊坂幸太郎のお父様で画廊を営む宮坂さんから、夫が子供の頃に頂いたもので、結婚した今は我が家にスンと鎮座している、通称”ワンコ”と呼んでいる犬のぬいぐるみだ。
子供の頃に夫が手に入れて30余年経っているのでだいぶへたって草臥れてきている。
義父が若かりし頃に、宮坂さんに出会い、彼から石踊紘一の日本画を購入させていただいたことから、お付き合いが始まり、義父母や子供だった頃の夫も画廊に家族で遊びに行っていたらしい。
詳しくは、宮坂さんの書かれた『画廊は小説よりも奇なり』を読むと生き馬の目を抜く銀座の街で、様々な画廊で修行し、経営されている画廊・宮坂の歴史と人との出会いが興味深く描かれている。
夫と結婚した当初より、伊坂幸太郎のファンだった私は、夫が義父にお願いして宮坂さん経由でサイン本を入手してくれたことで、繋がりがあることは知っていたものの、この”ワンコ”が宮坂さんから頂いたものだとは露知らず、その事実を知ったのはつい2、3年前ぐらいのことだった。
伊坂作品を読み耽る私の横に語りもせずに、静かにそこに居た”ワンコ”であるが、『オーデュボンの祈り』に出会った頃の恐ろしい程の熱量だったら、伊坂幸太郎との僅かな繋がりであるこの犬のぬいぐるみに激しく思いの丈をぶつけていたかもしれない。
だいぶ前置きと"ワンコ"の紹介が長くなってしまったが、許してほしい。
少し熱が冷めたフラットな視点で『フーガとユーガ』の話に移りたい。
熱が冷めたといっても、伊坂幸太郎の小説のファンを辞めたわけではなく、焼き立てのバナナケーキを熱々の状態で食べるよりも、1日寝かせて生地がなじんだケーキを食べる楽しみに知った、そんな感覚に近い。
搾取されるものと刈り取るもの
伊坂幸太郎の物語には、徹底的に人を痛めつけ、嬲る者、サイコパスでサディスト、有無をも言わさず弱者からすべてを刈り取っていく者が、1人かそれ以上登場する。
それとは逆に、主人公をはじめとする搾取される者も登場し、今まで奪いつくされてきた尊厳や権利をぎりぎり合法または非合法な手段で取り戻し、復讐を果たすが、両者とも深手を負う物語の構図が多い。
『フーガはユーガ』では、その構図に乗っ取っており、初期作品の『アヒルと鴨のコインロッカー』などに近いところがある。
自分たちを痛めつける者に復讐しても、主人公たちにも苦い現実が突き付けられ、切なさが残る作品だ。
一卵性双生児の優雅と風雅は、暴力的な父親と暴力を見て見ぬふりをする保身の母親の間に生まれ、日々の暴力に耐えるだけでなく、ネグレクトや貧困などといった一通りの不幸を背負った不遇の子供時代を過ごす。
ある時、二人は自分たちに授けられた特殊な能力に気付く。
それは、誕生日の一日だけ二時間置きに、優雅と風雅が物理的に入れ替わる能力であった。
年を重ね、この入れ替わりを何度も経験した二人は、暴力を振るう父親や自分たちの身の回りにいる搾取者を懲らしめるため、この能力を使用するようになっていく。
時に危なっかしく、時にユーモアを交えて。
搾取者達の嫌がらせや暴力は、1回で済むことはなく、復讐に復讐を重ねていくカスケード構造になっている。それはどちらかが死ぬか逮捕されるかまで、続いていく修羅の道である。
ネタばれするので、あまりここでは語らないが、前述の『アヒルと鴨のコインロッカー』的な終わり方となるため、読後は寂しさと喪失感が風のように吹き抜けていく。
展開のスピード感と終盤の物語の回収性
伊坂作品の多くは、序盤から中盤にかけての展開のスピード感がアクセルを踏んでどんどん加速していくのように早く、読者の読むスピードもアップしていくような感覚を覚える。そして物語の序盤で登場する数々のモノやコトは、終盤で一気に回収していく。
私は非常に遅読の部類だが、実際、読み始まりから終わりまで、1冊(328ページ)だいたい3時間程度で読めたため、他の小説を読むときとよりも1.5倍以上早いペースである。
それは、物語が途中の休憩を許さないある種の”流れ”を持っており、本を読むペースを完全に作品、または作者にコントロールされているかのようだ。
登場人物、優雅と風雅、風雅の恋人の小玉、同級生のワタボコリ、優雅が知り合ったハルタ。物語の終盤に当たり前の日常の幸せを獲得したものもいる一方、彼らがつけられた傷は深く、完全に回収・回復できるわけではない。
すっきりしない終わり方だという評価もある本作だが、そう簡単に傷は癒えるわけではなく、時間とともに薄くなっていくことはあるが、傷は残った状態で生きていく、というのもこの物語のテーマの一つなのだろうと思う。
参照元:
実業之日本社文庫『フーガはユーガ』伊坂 幸太郎
新潮文庫『オーデュボンの祈り』伊坂 幸太郎
創元推理文庫『アヒルと鴨のコインロッカー』伊坂 幸太郎
宮祐出版社『画廊は小説より奇なり』宮坂 祐次
Comments