橋の下を、たくさんの水が流れた-後半-
- Hiroko
- 2022年1月13日
- 読了時間: 3分
更新日:2022年1月26日
執筆者:Hiroko
戦争や釣り、ワインなど多岐にわたる題材の名作を残した純文学作家の開高健。
後半は、戦争をテーマにした未完の闇3部作の2作目にあたる「夏の闇」のヒロインについての考察を書いていく。

〝女〟は、孤独なヒロインなのか?
開高作品で印象的なヒロインといえば、
『輝ける闇』の素娥(トーガ)、『ロマネ・コンティ・一九三五年』のグンヴォール、
『夏の闇』の〝女〟だろう。
3人のヒロインの中でも特に印象が強いのが、夏の闇のヒロインだ。
このヒロインは最後まで名前が出てこない。
男の懐に入ろうとしては距離をとられ最後には置いていかれるのがわかっていたとしても、自分からはけっして側を離れようとしない。
結婚を申し込まれた男性がいてもなびかわない代わりに、人にも会わず、外出もせず、散歩もいかず寝ては食べを繰り返す堕落した男の世話を好んでしている。
初めて読んだとき女はここまで孤独な必要があるのだろうか?と疑問に感じたものだが、読み返すうちに、女もまた孤独な人生を望んでいると思わるざるえなかった。
〝女〟のモデルは、誰なのか?
『夏の闇』のヒロインには開高自身が投影されているのではないかと感じている。
開高は、自由やひとりでいられる場所を求め釣りや旅を好んだ。
実生活の開高は、22歳のときに同人誌仲間だった7つ年上の牧夫人の妊娠を機に結婚、翌年に長女が誕生している。
かなり若くして父親となったわけだが、作家仲間の間では牧夫人は悪妻ともっぱらの噂だったらしい。
かなり嫉妬深く、晩年は病床の開高を部屋に閉じ込め執筆をさせ、作家仲間との面会も許さなかったという。
だが、いち早く開高の才能を見抜き育てたことを考えれば周囲がどう評するのであれ牧夫人はやはり先見の明の持ち主だったのだろう。
開高作品のヒロインには、共通してせつなさや寂しさがあるが、
『夏の闇』のヒロインはとくに、自らを蒸留してしぼりだした苦汁を舐めて生き延びようとする痛々しさがある。
〝女〟は男に惚れていたのか?
本書は文学作品としては非常に素晴らしい。男のロマンとは、きっとこういうことを言うのだろう。
だけど私は女性だ。
なのでどうしてもこの〝女〟に自己投影しながら読んでしまう。
先ほども書いたが〝女〟には名前が一度も出てこない。
1日中倦怠の底にいて、起きてきたと思ったら食事をするか女を抱くことしかしない〝男〟。
急に生き生きとベトナム戦争の情報収集を始めたと思ったら墓場を探すように旅立つ。
自分でこの男を選んでいるとはいえ、〝女〟にしたら、たまったものではない。
なぜ〝女〟は、男に惹かれたのか?
「女というものは絶え間なく、少しずつ、自分をこぼしつづけ、つぎ込んで行ける対象がないことにはやっていけないの。それが台所仕事であれ、編み物であれ、盆栽であれ、なんれあれかまわない。そして指先を通じてものに触れてなきゃいけない。
これが女の特徴なの。それを女は愛だとおしゃっている。または愛だと錯覚してらっしゃるわけだ。
(略)
その中には愛と呼ばれるものもあるんでしょう。愛さなきゃそういうことができないからね。」*1
『わたしの開高健』のなかで語られることだが、女の愛の本質をずばり言い当てている。
女が本当に欲しいものは、男ではなく自由に生きる自分だったのではないだろうか。
男に惚れていたのではなく、男と同じように流れることを望んでいたからこそ、惹かれたのではないだろうか。
流れた後に、女はなにを見るのだろう。
旅立ちの直前。
『夏の闇』の最後はこう締められている。
「〝あちら〟も、〝こちら〟も、わからなくなった。走っているのか、止まっているのかも、わからなくなった。
明日の朝、十時だ。」*2
引用元:
*1集英社『わたしの開高健』細川布久子
*2新潮文庫『夏の闇』開高健
新潮文庫『輝ける闇』開高健
文春文庫『ロマネコンティ・一九三五年』開高健
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