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真珠を吞みて 死期を知る

  • 執筆者の写真: Naoko
    Naoko
  • 2022年10月13日
  • 読了時間: 3分

執筆者:Naoko


2022年は、澁澤龍彦がなくなって35周年の年。30周年の時のような、澁澤の書籍が新装版で出版されるとか、比較的大きな美術館が澁澤展を開催するといった派手なイベントはあまりない。


強いて言えば、彼の人のゆかりの地である鎌倉・長谷にある鎌倉文学館で、『特別展 没後35年 澁澤龍彦 高丘親王航海記』の展示を行っているぐらいである。



澁澤が亡くなった8月5日は、吞珠庵(ドン・ジュアン)忌と呼ばれている。声を失った原因である咽頭がんに、あたかも眩い白さの艶々した真珠を吞みこんだことによって引き起こされたかのような号・吞珠庵(ドン・ジュアン)を自らにつけた。

大病だから、癌だからと落ち込み、沈むよりも、この体験をどこか客観的に眺めて楽しんでいる風でもあり、茶目っ気を感じる。



遺作『高丘親王航海記』


澁澤57歳の時、初の長編小説として『高丘親王航海記』を連載する。その連載中に癌が見つかり、東京都港区の東京慈恵会医科大学附属病院で読書中に頚動脈瘤の破裂により亡くなった。次の作品『玉蟲物語』を構想中であった。

北鎌倉の浄智寺に遺骨が埋葬されているが、自宅周辺の明月院から見ると、線路を挟んで向かい側の位置にある寺である。


この遺作は、平城天皇の第三皇子であり、廃太子後出家して空海の弟子になった高丘親王が67歳にして、東南アジアの密林をかき分け、怪しげな動物達と触れ合ったり、お供の2人の僧と、途中で拾った男装の少女・秋丸を連れての冒険譚の趣きがあり、軽快にそして時折現代的な視点で、前半は物語がテンポよく進んでいく。


後半になるにつれて死の匂いが濃霧のように漂い、徐々に登場人物達をその霧の中に包みこんでしまうような展開だ。とはいえ、前半でありとあらゆる体験やその体験から生まれる感情を味わいつくした高丘親王は、死の恐怖を感じているよりもどこか達観し、死にゆく感覚をもまた味わおうとしているように思える。


高丘親王が真珠を吞みこみ、声が枯れるシーンもあり、澁澤の姿がそのまま投影されている。


真珠を吞み前にもう二つ、高丘親王が死期を悟る描写がある。

湖に自らの姿が映らない者は、死期が近く、またそういったものは鏡にも映らず、高丘親王はいずれも自らの姿が映らないことを知り、もう時期亡くなってしまうであろうことを悟る。

そこには悲しみはなく、どのように美しく人生を閉じるのかということについて意識が向けられている。



薬子の母性とエロス


この物語の読みどころは、”死”(タナトス)だけではなく、”生・性”(エロス)もふんだんに散りばめられている。

高丘親王の幼少のみぎり、平城天皇の愛妾だった藤原薬子への思慕と母親程離れている女性への性的な憧れが混ざった感情を彼女に抱いており、この冒険譚の中でも、薬子に似た女性が度々登場し、薬子の変がきっかけで自死してしまった薬子の生まれ変わりを匂わせている。


高丘親王は出家したため、旅の中で出会った女性達に懸想することはないが、ことあるごとに薬子との些細なやり取りやその姿を思い出している。


天竺に彼を向かわせたのも示唆したもの、薬子であり、与えた影響は図りしれない。

エロスとタナトスが対比的に描かれているようでいて、薬子もまた死に転生し、日本とは違う別の場所で出会うという構図が、この物語の救いなのかもしれない。


きっといつか澁澤そっくりの男性がひょんなタイミングで現れるだろう。

そんなことがあったら、記念撮影の1枚でもしてみたいものである。





参考元:

文藝春秋『高丘親王航海記』澁澤 龍彦

KADOKAWA コミックビーム『高丘親王航海記』(Ⅰ)~(Ⅳ) 近藤ようこ

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