努力だけではどうにもならないけど
- Hiroko
- 2021年10月30日
- 読了時間: 4分
更新日:2022年5月28日
執筆者:Hiroko
言葉にするまでもないが少し心に引っかかることが、日常には山ほどある。
1日の思考の大半はこんなコトだろう。
その”言葉にするまでもないが心に少し引っかかること”を、うまく言語化してくれている小説がある。

津村記久子の『ポースケ』だ。
ヨシカという女性店主が営む奈良の喫茶店「ハナタカ」を舞台に、女性たちの日常がゆるく交差していく物語。
ハナタカを訪れる女性たちは、実は皆それなりに重大な悩みを抱えている。
職場のパワハラ、就活に疲れ切った娘をもつ母親、元彼のストーカー...
ドラマチックな展開があるわけではないが、自分でも気が付かない些細な心の動きを見事に言い表してくれているので、うなずきながら読んでしまう。
たとえば、職場のパワハラで睡眠障害になり電車に乗れなくなってしまった女性が、退職してもなお悪夢にうなされ、ふとした瞬間に上司の言葉を思い出し苦しむ場面がある。
「頭が邪魔だと思う。人間はどうして、今起こっていないことに苦しんだりするんだろうか。今がなんとか安全なら、なぜそれでいいと割り切れないのだろう。できれば、仕事の間は頭を切り落として、首から下だけで生活したい、と佳枝は思う。でも、寝ている時に前の職場のことを夢に見るのがいちばん怖いから、寝ているときも頭はいらない。ならいつ必要なのか。」*1
ネガティブな性分の私は、このくだりを読んだとき深くうなずいたし安心した。
自分と同じ不安を抱えている人は他にもたくさんいるようだ。
ふとした瞬間に嫌なことを思い出しては、どうして自分はネチネチ考えてしまうんだろうと自己嫌悪になっていたが、誰かに相談するほどで深刻とも思っていなかったからだ。
食事とは尊いものだ
ポースケは、2008年に発刊された「ポトスライムの舟」の5年後の物語として書かれている。
「ポトスライムの舟」の読者は、ヨシカと聞くと懐かしさと嬉しさを感じるはずだ。
会社をやめ工場で働く大学時代の友人のナガセの家に居候して喫茶店の開業準備をし、喫茶店を開業したらナガセをバイトで雇っていた、大きめのスコーンを焼くヨシカだ。
ナガセ以外にも、ポトスライムの舟に登場したほとんどの人物が出てくる。
「ポースケ」ではなぜ働くのか、働く意味が掘り下げられているが、どの人も華やかな社会生活を送っている様子はなく、地味で控えめな印象のほうが強い労働者階級の人々だ。
自分と向き合い、日々の食事を考える。
ただ胃袋を満たすだけが食事ではない。では、なんのために食べるのか?
「ポトスライムの舟」にも「ポースケ」にも食事シーンが頻繁に登場するが、すべての食事に不思議な”尊さ”がある。
ヨシカは味覚が合わない忙しい母親と暮らしていたので、中学の頃から自分で料理をして1人で食事をしていた。
孤独な食事が当たり前の環境で育ったからこそ、おばあちゃんの家のような温かい喫茶店をつくれたのかもしれない。
もしハナタカが近所にあったら頻繁に通うだろう。
ハナタカには、本の寄付でできた本棚もある。
自分なら、どんな本を寄付しよう。やはり写真集だろうか?
努力だけではどうにもならない
心地いい環境ややりがいは、自分の努力だけでは手に入らない。周囲の人間関係やタイミングがうまく噛み合ったときに生まれる。
自分ひとりの努力だけでは、どうにもならない。
努力だけではどうにもならないことを、私たちはすでに知っている。
だからヨシカや、ハナタカのスタッフたちの淡々とルーティン業務をこなしていく様子が愛おしい。
水菜を人差し指の第二関節くらいの長さに切ってと指示されると、いちいち指で測りながら切る佳枝さんや、ズル休みをする生徒よりピアノの無料体験に熱心に通ってくる生徒を気にかける冬美。
就活で苦しむ娘をどうにか助けたいとビーフシチューの写真を撮りながらヨシカに相談する十喜子さん。
きっと自分を投影できる”誰か”が見つかるだろう。
引用元:*1 中公文庫『ポースケ』津村記久子
講談社『ポトスライムの舟』津村記久子
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